目が覚めると、白い天井があった。
続いて、耐えがたい空腹感と、それを満たしてくれるであろう、ベッド脇の香ばしい匂い。
瞬く間にそれを口に入れてしまって、黒翼の有翼人はぬるりぬるりと一本の毛もない頭を撫でた。ざらりとした肌触りがないということは、そんなに時間は経ってないらしい。
そうして紫眼を少し細め、再び天井を刹那見上げてから、
「状況を報告しろ」
と、空間に声をかけた。
「りょっおかい」
ゴトンゴトン、と相棒が床を叩く音がする。
「まず、あんたはこの家の裏で倒れてた。そこまではいーい?」
甲高い少女の声が返ってきた。
「すまん、記憶があやふやでな」
「あのねー……で、あんたは通りすがりの人間に拾われたの。嫌だろうけど、人間の男」
「……嫌だな」
「ほんとわかりやすい奴! で、ここの家の人と一緒に、この部屋まで運んでくれたの。で、その人が何と……」
「しっ」
有翼人は相棒を制した。
きぃという足音と共に、精霊の、匂いがこちらにやって来る。普通は気配というのだろうが…懐かしい匂い。そういえば昔は話をすることだって出来たのだ。
----初めて人を、殺すまでは。
とにかく精霊さんが助けてくれた。自分が幾ら不吉な外見をしていても、人間と違って、精霊さんなら悪魔とも死神とも言わないだろう。絶対に。
何とお礼を言えばいいだろうか。もしかしたら、自分を覚えてくれているだろうか。
そんな訳はないから、まず自己紹介だ。そう、アイムっていうんだ。
黒翼に紫色の瞳の青年は、自分に言い聞かせる。……このアイムさんは、アイム・ミラーフェルト。
再び空間に呼びかける。
「ラヴェル、あれが、『ここの家の人』か?」
「そう! そうなの! それで……」
アイムの相棒が何か言いかけた時、足音が止まり、ドアがゆっくりと開いた。
「なんだよー、ヒトかよー!」
現れた人物…フォルクスを見るなり、ベッドから降りもしないでアイムは地団駄を踏む。
「せっかく精霊さんとお話しが出来ると思ったのにー! 十年以上振りなんだぞー!」
布団が宙を舞った。ハゲ頭がきらりと光る。
「何で匂いがするのに精霊さんじゃねーんだよー!!」
「悪かったな……人間で」
「うるせーお前なんか人間じ『ごぶっ!』!」
アイムの口から真っ赤なものが吹き出した。
フォルクスは唖然とした。矛先を染めた、槍が……有翼人と一緒に回収したはずの大きな槍が、音を立てて跳ねている。
「ああ、気にしないで。ただのツッコミだから。コイツの血ならじき止まるわよ。そういう体質なの」
しかも、喋っている……部屋の前まで来た時、確かに「二人」の声がするとは思ったが。
「……そっちこそ、悪魔の紫のくせに」
「何で『悪魔の紫』なんだ? 紫色の眼にも色々あるだろ? お前、これをどこで見た?」
「それは…………アカデミー、かな」
授業で出て来たかも知れない。騒がしい同輩達の、噂話にも上ったかも……紫眼の悪魔、なんて呼ばれるような連中が、そう簡単に標本にされるとも思えないが。
アイムの血は本当に止まっていた。
そろそろ、リゼッタがやって来る頃合だな、とフォルクスは自室の方向に顔を向けた。とりあえず、この変な有翼人と、もっと変な槍から逃げ出したい。
……白子の自分を見ても、精霊がどうのこうの以外に何の反応もしない、とっても変な、でかくてハゲで黒翼の有翼人。
「でもお前、精霊さんの匂いしかしねーんだよなー。ふっしぎだなー。まあいーや。アイムってんだ」
アイムはフォルクスに向かって、紫の瞳を細めた。
「パンをありがとう。このアイムさんは、アイム・ミラーフェルト」