キーデル侯爵領はアーデルリアス王国の国境領土の一つである。エルフ族の統治する森林領土で、その森を抜けると、シャデリア公国領有の砂漠地域になる。
通常、この国境地帯は現地のエルフ軍だけで充分なのだが、彼らだけでは手に余るほどの攻撃を受け、侯爵は本国に援軍を要請。誇り高いことで有名な、悪く言えば意地を張りやすい彼らにしては珍しい。
よほどの苦戦なのだろう、と、国家の精鋭の一つである魔法騎士団の第三部隊、そして、お飾り同然ではあるが、国家としての姿勢を見せるために、大将として、第三王子リジャス・サーリアが派遣された。
パチパチと鳴るたき火の前で、リゼッタは濡らした手ぬぐいで血糊を拭き取る。昼間の防衛戦で浴びたものだ。
――今日は、怪我も無かったし、生き延びたな……――
彼は、国家の軍人である。きっぱりはっきり、いつ戦場で討ち死にしてもおかしくない。国防戦だから、そうなっても遺族に慰留金などは出るだろうから、母親の経済的な心配はしてないが、心情的なものはまた、別だろう。
「非合法に一人殺せば殺人者、公的に百人殺せば英雄……」
この戦の直前に友人に押しつけてきた、かつて暗殺者だった行き倒れが頭によぎった。
「よ、やっぱり生きてたな」
実にお気軽な口調で話しかけてきたのは、建前上とはいえ大将であるリジャス・サーリアである。
リゼッタは大きくため息を吐く。
「幸運ながら……。というか、そういう接し方は外ではやめて下さい、特に軍務中は。御大将と平兵士ですよ」
「……冷たいなぁ。俺と君の仲だろう」
「どんな仲ですか……」
「ザインのところで出会った……親戚、は角が立つな、幼なじみってところで手を打て」
「……だからっっ。俺と殿下がザイン様のところで、っていうのがすでに極秘なんですってば」
「大声出したら拡散しかねないぞ」
言われて、またまたリゼッタは超弩級のため息を吐く羽目になる。
「……で、平兵士に何のご用ですか、派遣軍大将の王子殿下」
「冷たいなぁ……」
愚痴りながらも、リジャス王子はすぅっと真顔にもどる。
「初日の戦線報告を聞いて、ちょっとまずいんじゃないか、と思って、お前の頭を借りに来たんだよ」
リジャス王子個人には戦力的な資質はほとんど無い。本人も割り切っていて、あくまでも、王族との和解などの直接交渉のため、と、戦場に同行してるから、勝ち筋の強い戦ではめったに口出しをしないのだが……
「なにを、まずいと思ったんです?」
「……この部隊……というか、魔法騎士団全体の今の風潮、わりと脳筋寄りじゃないか?」
「……まぁ、先代までの団長がそんな方針だったみたいですからね……。力押し主流派で参謀班が完全に閑職扱いっぽいですね、内側からみても」
派遣軍一日目は、主力の大型魔法が火炎やら氷やら雷撃やらを派手に敵軍にたたき込み、そこから逃れた者をリゼッタのような雑兵が撃退する、という、派手な様相だった。
「……これが、魔物退治ならかまわないんだがなぁ」
リジャス王子はぼやく。
「相手国に死者が出すぎると、和解が難しいだろう?」
「……あー、まぁ、確かに」
今日は最初の牽制、ということで、まだいいが、これが連日続くとなれば、下手をすればシャデリア公国軍に大打撃を与える。先方から攻めてきたとはいえ、別にこちらは相手を侵略したいわけではないから、相手の撤退と講和ができればいい。そう考えると、連日、大魔法の乱発は得策とは言えないだろう。
「普段の任務は国内の魔物討伐やら盗賊団討伐が多いんでアレでいいんでしょうが……同じノリでやってますよねぇ、先輩方……」
「今日は見せつける感じでアレでいいとしても、この後はなるべく、捕虜を確保しての交渉が望ましい……で……」
「……で、なんで俺なんです?」
「小賢しいのは得意だろう、お前は。当代の魔法騎士団長なら話も通りやすいだろうし」
脳筋の先代よりは、とぼやく。
魔法騎士団の花形は、と言えば、魔法の威力と剣や槍の力での大きな打撃を与えるのが本懐、という意識が団内では大きいのだが、特に今回のような場合は、という話だ。昨年、先代の引退に伴って就任した魔法騎士団長は、それなりに、そういう話もわかる人物だ、と、王子様は言う。
「……そうですねぇ。だったら……」
リゼッタの提案に、リジャス王子はにんまりとした。
「いいな、それは。森ならではだし、敵軍は空からは来ないし」
「殿下から話つけてくださいよ」
「判ってる、判ってる」
いいながら、リジャス王子は立ち上がった。これから、部隊長に話をつけにいくのだろう。
翌朝から、アーデルリアス軍の戦術は変わった。
シャデリア公国軍が一歩森に足を踏み入れると、森の木が枝を伸ばしたり、蔦が生えたりして、一気に絡め取られる、といった具合だ。慌てたのか、火で焼こうした者もいたが、それは即座に水やら氷やらの魔法で止められる。
木々の生長を魔法で促進させたり、蔦を伸ばしたり、といった魔法を存分に発揮させて、森で相手を生かして捕縛する方向に持って行った。
「俺でもできる基礎的な魔法ですからねぇ」
魔法を学び始める初歩の段階で、鉢に種を植えて一気に成長させたりする、魔法の構造理解方法がある。魔法騎士団の団員なら、おそらく一度くらいはやったことがあるだろう、と、リゼッタは言った。概ねはその通りで、ごく一部の、唐突に極大な魔法に目覚めたような者以外は、大概ができた。そして、この方法をありがたがったのは、森の損傷が少なくなるキーデル侯爵領のエルフたちだった。〝脳筋〟呼ばわりされた魔法騎士団第三部隊長も、これでは文句は言えなかった。
「に、しても。この規模でやるとまぁ、爽快というか何というか」
リジャス王子が砦の上から眺めながらキーデル侯爵に言う。
いずれ、敵軍の重要人物がコレに引っかかってくれるか、あるいは、この戦法のやっかいさに気づいてくれれば、早々に講和の話し合いに持ち込めるだろう。