邂逅-フォルクス-3-

writton by 龍魔幻

 カーディナル大陸の東方およそ四分の一ほどを占めるアーデルリアス王国は森と平原を主とする封建国家である……というよりも、西方のラディスハイド王国もだが、多種族が存在するこの大陸では、エルフ族、ドワーフ族、有翼人、小人族、竜族など、多くの種族が存在するので、必然、一国にまとまろうとも、各地は地元の同族有力者を領主として据えて、その統括を王族がするのが、もっとも手っ取り早い統治方法として、そうならざるをえない。両国の間に挟まれた地帯は、その王族ないしまとめ役すら欠くので、どうしても、紛争の絶えない地域となっている。
 アーデルリアス王国の成立には、現在の王家の祖にあたるサーリア家が力を入れた学術の発展が大きい。一般学、魔術、錬金術、戦術などはもちろん、歴史や礼法、商法、その他ありとあらゆる知識の粋とも言えるものを集め、広くに門戸を開いた学術施設、アカデミーはいまや、その関係者の生活圏として、学術都市クレスブルクとして独立都市を形成しているほどである。

 フォルクスは、基礎学問こそ家で家庭教師をつけられて学んだが、その後、16才で自ら希望して、アカデミーの錬金術学部に入って学んでいる。金を生成する、という伝説的な目的ではなく、科学分野全般、といったものである。――――何故、縁の深い精霊についての学科ではなかったのか、と、問われたこともあるが、得られる答は「なんとなく」という程度である。
 在学中、いくら何でも家から通うのは非効率に過ぎるので、クレスブルクにいくつかあるうちの〝知恵の鷹〟寮に住んでいた。特にどの寮がどの学科、という区分けでもないので、かなり混沌とした構成の、悪友とも悪乗り仲間とも言えるような友人関係を構築したのも、この頃である。
 リゼッタ・アズナグルとの縁も、同じこの寮の寮生だったことが大きい。
 男子寮である〝知恵の鷹〟寮と、それに隣接する女子寮〝紅月の白烏〟寮とは、若い学生が多く、とかく騒ぎ好きが集まりやすい傾向にあった。単に、この辺りの寮に入った者が先輩連中に巻き込まれるうちに染まっていくだけ、という見方もできるが。

 リゼッタが勝手に取り付けた約束とはいえ、彼の示した先の約束はフォルクスとアイムがクレスブルクに入った日の翌日。つまり、一晩は、しっかりとアイムも巻き込んで、この悪乗り大好きのフォルクスの元寮友たちと呑み明かした、という形になる。
 寝落ちしていたアイムがふと目を覚まして、その目に入ったのは、ほぼ酔い潰れた男女の山。どういう状況だったか記憶をたどって、すぐに放棄した。
 場所は彼らの寮の近くにある〝若葉亭〟。ほぼほぼ、ただのどんちゃん騒ぎで、誰が誰を酔い潰すか、とか、そんな実にたわいも無く、平和でバカな話をしていたように思う。勢いにつられて、アイムもけっこう酒杯を煽った、というか、押しつけられた。まぁ、つまみや食事の中に、けっこう美味いものもあったので、よしとする。
 見渡すと、まだ悠然と麦酒を煽っているフォルクスの姿が目に入る。――記憶にある限り、延々と呑み続けていた気がするが、平然としている。
「フォルクスくんはねぇ……」
 横から、女の声がした。アルケミストのドワーフの女性、だっただろうか。
「身体の中の精霊さんがお酒飲んじゃうから、まったく酔わないのよぉ」
「んなわけありますか。単なる体質っしょ」
 さらっとツッコミを入れるフォルクス。何か、実に生き生きしている、ように見える。
 ドワーフの女史の手に、アイムの大切な相棒、ラヴェルが握られていた。
「いいわぁ。もう、お肌すべすべって気分よ~。ありがとう、レアナさん」
「いえいえ。あたしもあなたみたいな貴重な槍さんのお手入れできて、楽しかったわぁ」
 上機嫌なラヴェルの声。
「あの薬、手持ちに出来ないかしら」
「やめとけ、やめとけ。レアナ女史の薬、持ち歩くにゃ扱いが面倒だったり、ヤバいの多いから」
「あらぁ。コレの生成、君も関わってるんだけど?」
「……あ、アレ? あんなもん、ぜっっっったい、持ち歩いたらヤバいでしょ!」
 状況を整理すると。
 アイムが寝落ちするほどに平和に満腹に食べて呑んでいる間に、アルケミストの一人であるレアナという女性ドワーフに、ラヴェルはしっかりと捕獲されて、なんぞきれいに手入れしていてもらった、らしい。そう、アイムは解釈することにした。
 フォルクスが立ち上がり、アイムに近寄った。
「起きたな。じゃ、そろそろ、行くか」と、声をかける。
 アイムは、すでに成り行きに任されるしかない、とばかりに、ついて行くことにした。

 フォルクスとアイム、そしてその手にあるラヴェルは、学術都市の雑然とした中央部から少し離れた、閑静な、だが、豪奢な建物の建ち並ぶ区画のひとつの前に立った。王家の分家の一つ、アスレイトス領王家の持ち屋敷である。
 平然と門番に話しかけるフォルクスの背を見ながら、アイムは、ぽかんとするしかない。あのリゼッタというやつが何を考えているのか、さっぱり判らなくなってきた。
 フォルクスの手招きに走りより、メイドに庭園の一区画に案内される。庭の四阿に、香茶のカップが三つ、用意されていた。二つ横並びの方に、二人は案内の使用人に促されて座る。
 目の前で満たされたカップに少し口をつけた頃に、一人の男がやってきた。
 フォルクスは立ち上がり、お久しぶりです、と挨拶をする。
「久しいな、フォルクス君」
 座るように促しつつ、対面座ったのは、騎士の様相をした、頑健な男性である。すこしばかり白い物が混じった黒い髪が、わずかに彼の年齢が若くないことを物語る。
 ノイエス・スーンは、現王の叔父にして王国の重鎮、ザイン・サーリア・アスレイトスが最も信頼を置いている側近の騎士である。
「そちらが、アイム・ミラーフェルト、か」
 問われて、アイムはこくこくと頷いた。本来なら、少なくともこうして、正面同士で話すことなどありえない、大物である。
「君の名はザインさまもご承知で、かなうなら一手、手合わせ願いたい、と仰せだったが……」
 ゲフッ、とアイムはむせかえる。ご承知とはアイムの過去の職業ゆえに、だ。元暗殺者と手合わせしたい、などというのは、噂に聞く堅物とは思えないような酔狂ぶりだ。
「……残念ながら、今日は別の用件が入っていてな。代理の、私で失礼する」
 どんな王族だ、という言葉を、アイムは少ない礼儀根性を総動員して口からでるのを阻止した。
「どうせ、リゼッタが何も確認せずに何か言ったんでしょう?」
 フォルクスは、慣れたように言った。ノイエスは、軽く頷きつつ、昨日受け取ったリゼッタからのウェノのでの手紙を彼らに示した。フォルクスの口を最初に着いたのは「暗号?」というつぶやきである。
「いや、絶望的な悪筆なだけだと思う。私が相手だからこれでかまわないが……まあ、仕事の書類では、きちんとやっているようだから、もっとしっかりした文字で書いているのだろうな」
「……そういや、あいつのノート、こんなんだっけ……借りても解読できないリゼッタ暗号……」
 どんなんだ、というツッコミは、目の前の、よほどで無ければ解読不可能な手紙が雄弁に物語っていて、出てこなかった。むしろ、これを読めるというノイエスに、奇妙な尊敬さえ感じる。
「さて、本題は、君たちがこの大陸で自由に歩くための通行証、だったな」
 と、アイムの鼻を、ふわり、と〝精霊の匂い〟が漂った。小さな光が小さな妖精のような姿で、ノイエスに二枚、書面を渡す。
「これが、リゼッタが要求してザイン様が承認された、フォルクス・バーム、アイム・ミラーフェルト、それぞれの身分証だ」
 ザイン・サーリア・アスレイトスの名において、彼らの身元を保証する、という書面である。
「今更ではあるが、保証人のご身分ゆえ、無茶な乱用は避けてほしい」
「判っています」
 フォルクスは首肯して受け取った。アイムは、ためらっている。それを見て、ノイエスは苦笑した。
「不思議かね? 元〝暗殺者〟」
 すぅっと、アイムの中の何かが冷えた。廃業を宣言した。それでも、やはり、その肩書きはずっと、ついて回るのだろう。それは、アイムがそういう仕事で奪ってきた命を思えば、当然である、と、飲み込んでいた、はずだ。
「君は、非常に有名で、優秀で、信頼の高い、暗殺者だった。それが、ザイン様が君を認めて後見人になる理由だ」
 それまで、アイムの素性を知らなかったフォルクスのすこしばかりの驚愕と、目に見えて動揺するアイムに、ノイエスは静かに言った。
「君への依頼は確実に遂行されていた。同時に、依頼された者以外の被害は、ほぼ一切、ない。これは、実力と信義を備えた、実に希有な存在だ。そのあたりの下手な貴族・騎士よりよほど信頼が置ける」
「…………ええ……っと?」と、戸惑うフォルクス。アイムに向けられたノイエスの目の表情は優しく見えた。
「護衛にすら被害を及ぼすことはない。すなわち、アイム・ミラーフェルトは〝依頼を受けた者以外は殺さない〟。これは、存外に難しい。まして、廃業を宣言している。もう、〝依頼〟を受けることはないだろう。これ以上、安全な存在はそうそうにはいない、ということだ」
「……ああ、なるほど」
 フォルクスは得心した。
「きっちりとした職業軍人だからこそ、町の人は絶対に殺さない、みたいな?」
「まぁ、そういう解釈になるかな」
 アイムの脳内はくらくらとしている。理屈は、理解できなくもない。だが、本当に、彼らはそこまで、自分に信頼をおいていいと思うのだろうか。そんな内心をノイエスが見透かしているような目で、改めて、アイムの真ん前に、証書を推し進めた。
「ずいぶん昔とは言え、一国の王座に近かった人物の判断だ。遠慮無く、受け取ればいい」
 言われて、アイムはおそるおそる、それを手にした。これは、信用の証、なのだ。

「……っていうか、どういう伝手なのよ、アレ」
 ラヴェルがフォルクスに問うたのは、ザイン邸を辞した後である。
 ザイン・サーリア・アスレイトスは、少なくともアーデルリアス王国では高名な人物である。先代の女王の弟、というのみならず、国家の忠臣、公明正大と忠実の代名詞、といえるような人物、として。
「えーっと。リゼッタの、父親」
「…………はぁ!?」
 まぁ、そう思うよなぁ、と、フォルクスは思う。リゼッタは、どこからどう見ても、貴族とか王族とかには見えない。なんなら、制服を着ていなければ、騎士である、と名乗っても疑われかねないような、どこからどうみても、庶民、である。
「庶子、ってやつだってさ。金はともかく、育てたのはあいつの母さん……町の薬屋だから、基本的には他人で通してるらしいけど、けっこう、使うときには使うんだよなぁ――ザイン様もけっこう、訊ける分は訊いちゃうみたいだし。まぁ、国家権力云々は全力で避けてるっぽいから、たぶん、大丈夫」
 いや、たった今、彼らが手にした書簡はまさに、国家権力者の信用証明なのだが。
「……見返りは?」
「……リゼッタの知り合い連中は、ちょくちょく、王家の人が直接動くようなことじゃない用事、聞いてたから、いいんじゃないか? アカデミーの技術とか、研究絡みとか」
 基本、ノイエス経由で、ザイン本人にあったことは、数度しかないが。いや、数度もあれば多い方か、とかなんとか、ブツブツとフォルクスはつぶやく。
「……んで。どうやらすっごく信頼の於ける腕利きの槍使いらしい、アイムに、改めて、商家バーム家からの依頼なんだが」
 フォルクスはアイムに、いつの間に用意したのか、書面を差し出した。フォルクスの父、バーム家の当主、ボルム・バームの署名が入った、正式な依頼書である。
「海路から、ラディスハイドのちょっと手前辺りの領地と、国境山地ステンダー、それから、ラディスハイド王国のいくつかの領主さんやら商家さんやらへの契約更新の使いに、俺が行くことになってる。で、その使いっぱしりの俺の護衛を依頼する」
 金額は、その父親が決めたのだろう。けっこうな金額が記載されていた。