炎の蝶も飛び交うことを止め、三人と一本のいる路地裏も静けさを取り戻しつつあった。
「……オシルス、お前、変わったな」
呟いたのはアイム。すっかり観念したエーリックへの拘束魔法を解きながら、オシルスは平然と、
「アイムさんの身長の伸びっぷりの方が犯罪ですよ。多分、父も驚きます」
そう返した。
「父、か……」
『この先〝おじちゃん〟じゃまずいから一応教えとくぞ。まず、ベルナート・クラン閣下、と』
数日前、船を降りた夜に、酒を飲んだフォルクスが家系図を書き出したんだっけ、とアイムは思い出す。
『の、正妻の嫡子がオシルスとイシス。多分お前が昔会った双子は、この二人だろう。で、ベルナートの姪、オシルス達の従姉が今クラン伯やってる俺の学友……』
『ドレスで山登るっつー女のヒト?』
『そう。アーリン。で、ベルナート閣下のもう一人の妹がステンダー家に嫁いでて、甥っ子が五人いるんだが……こないだ言った災厄で上四人がバタバタ死んで、五男が今も絶賛行方不明』
その五男が今目の前にいる。
「エーリックがお貴族様ってことよりも、おじちゃんの血縁だってことの方が正直びっくりだ」
「おじちゃん?」
「ベルナート、クラン、さま!」
思ったよりも大きな声が出た。
そういえばフォルクスはどうしてるかな、といつもの調子で鼻を動かしたところで、アイムは顔色を変えた。
「――――フォルクスの匂いが、消えた?」
正確には、フォルクスの精霊の匂い、だ。
一人猛烈に焦るアイム。……いや、そんなことは無いだろう。フォルクス〝そのもの〟の匂いだって、本来ある筈なのだ。精霊の匂いに紛れていただけで。
「どうしたんだ、漆黒」
「どうかしましたか、アイムさん」
二人が怪訝な顔を向けてくるが、それどころでは無い。
「焦げ臭い……!?」
フォルクスの匂いが、何かに塗り潰された。
アイムの顔は褐色だが、見る人が見れば真っ青になっていたに違いない。
「ついて来い、お前ら!」
いきなりアイムは路地裏から走り出す。同時につんのめって倒れるエーリックの身体には、再び魔法の鎖があった。
「あんた人質ね!」
ラヴェルの声だけが残る。どうやら、さっきのオシルスの真似をしたらしい。
「何でまた、俺?!」
街の喧騒の中を、ずりずりと引きずられていくエーリック。仕方なく……本当に仕方なく、オシルスも二人を追って走り始めた。
鼻の示すままに走って来たのに、行く先には火事など何処にも見当たらなかった。それなのに、何かが焦げた匂いはどんどん強くなっている。
見回せば、そこには城壁。フォルクスは侯爵家に行っているのだから、この先で炎に巻き込まれたのか。にしては、行き交う人々が余りに平然としていた。
「フォルクス……何処だ?」
「……ふぉるくす、って、誰ですかー……」
三人の中では一番体力の無いであろうオシルスが、すっかりへばっている。次いで、エーリックが地面と接吻をしているときた。
眼を閉じ、改めて匂いを辿れば、焦げ臭い匂いが少し変化していた。
「……戦場の匂い?」
生きながら焼き焦げた、死体の臭いがする。こんな平和な街で。
「フォルクス!!」
アイムは数十歩走って、立ち尽くした。
城壁の下に転がっていたのは、フォルクスでは無かった。フォルクスの服を着ただけの、赤黒い物体。
「フォルクス、おい、フォルクス!!」
その肌は今にも崩れそうで、アイムは触れることも出来なかった。
「確か、白子は陽の光に晒されただけで火傷を負ってしまう……でもお前、普通に甲板に出てたじゃねーか!」
「「白子?」」
後ろで同時に、二つの声。
アイムは黙って頷く。
「そいつが、フォルクス?」
もう縛られていないエーリックが覗き込む。
「……魔法ですか」
荒い息が収まったオシルスが続けた。
「どうやら肉体に害を及ぼす種類の魔法のようです。大丈夫、まだ生きてますよ」
「魔法……なら」
フォルクスの肉体から、魔法の残滓を辿ると、すぐにアイムのこめかみが動いた。
「お前ら、こいつ頼む」
ゆらりとアイムは立ち上がる。
「絶対許さねー」
その手に、ラヴェルをしっかり握って。
それから十数分、経ったかどうか。
フォルクスの変容に怯えて、その場から逃げ出した魔術師は、逃げ込んだ雑貨屋の地下に追い詰められていた。
「助けてくれ、まさかあんなことになるとは思わなかったんだ!」
ゆっくりと階段を下りてくる黒い影。
「奥方さまに言われてやっただけなんだ、俺は!」
「「そんなことはどうでも良い」」
二つの声は、ぴったりと重なっていた。
「お前〝漆黒の悪魔〟だろ、頼む、俺はただの平民なんだ、命だけは……」
「「そうだな、殺しはしない。だが……フォルクスの痛みを思い知れ」」
影が構えた槍は、追われる者の心臓にすい、と向けられる。
『刃よ踊れ 踊れよ刃』
先端に、周囲より濃い闇が集まっていくのを見て、魔術師は最期の悲鳴を上げた。
『切り裂け体の 全ての皮を
命の流る 全ての管を
刃よ踊れ――――』
……一方その頃。
「どうするよ、俺ら」
フォルクスという名前しか分からない、目下最大の不審人物……しかも瀕死……と取り残されてしまって。
「どうしましょう……放っておくと、僕らがアイムさんに殺されますよね……それに、よりにもよって、白子ですし」
頼む、と言われてしまった以上は。
「あいつ、廃業したらしいけど」
「僕の宿屋にでも、運んでみますか……?」
「オシルス、治癒魔法使えたよな」
「一応、攻撃よりは得意ですが……」
この場から逃げ出すことも出来ない、貴族二人なのだった。