ヴォールファート領-フォルクス-8

writton by 龍魔幻

 西にラディスハイド王国の盾と呼ばれるステンダー山脈がそびえる内地の一つ、ヴォールファート侯爵領は大地の精霊の加護篤い、豊かな穀倉地帯である。それが故に、過去にイナゴが大地を荒らした数年間は大きな借財を抱えた。小領土が乱立する中、穀物を売ることのできない穀倉地帯がどうにか他領の侵略を持ちこたえただけでも奇跡的なものではあった。
 しかしながら、いつまでも借財を放置するわけにもいかない。
 そうして、時の領主はアーデルリアス王国有数の富豪である商家、バーム家に話を持ち込んだ。
 借財をバーム家が肩代わりする代わりに、次男、グリフィス・バームを一人娘の婿に迎え、いずれは侯爵領を継がせる、と。
 これは、西方につてのほしいバーム家にもおいしい話で、家同士で合意をみた。娘もぞんがいにグリフィスに好意を抱き、円満な縁談であったといえる。
 ただ一人の感情を除いては。

 ただの運か、アイムの並々ならぬ気迫のおかげか、フォルクスの家業手伝いの書類の伝達は、かなり順調だった。
「そーいや、書類ってウェノに運ばせるんじゃダメなのか?」
 ある時、世話になっていた家に定期連絡よろしく手紙を鳩ウェノで飛ばしながら、アイムが訊ねた。
「……金銭絡みの重要書類はちょっとなぁ……」
 鳩ウェノは、比較的、安価で手に入る通信手段ではある。ただ、それ故に、追跡や魔法による盗難なんども起こりうる。戦場などでウェノの通信手段に使おうものなら、敵に居場所を教えるようなもので、場合によってはウェノ避けのような道具すらあるほどだ。
「私信くらいならいいんだけどな。確実に相手に届けようとすると、やっぱり人間使うのが一番確実……らしい。どっかで野垂れ死なない限りは」
 何度か、アイムの勢いについて行けずに早々に宿に引っ込んで、大槍であるラヴェルがアイムを引き戻す、という行程を踏んできたから、妙な説得力を帯びる。これに関しては、暴走するアイムを引き戻すときにラヴェルが何度も発した「何のための護衛なのよっっ!」という言葉が、あからさまにしっくりくる。
「本来、俺、書斎派だから」と、フォルクスは言う。旅慣れたアイムとは明らかに体力差があるのは歴然だった。
「錬金術師……だっけ?」
「なり損ない。学生の頃はやってたけど、そのまま研究職に居着かずに、実家に帰らされたからなぁ」
 で、家の使いぱしり要員、と、パタパタと手を振りながらフォルクスは言った。
「……んで、次は?」
「ヴォールファート侯爵領。なにがどうしてか、俺の兄貴が侯爵様やってるんだよ。取引とかの細かい事情は知らん」
 聞いても意味が無いし。父と、長兄が把握していれば充分、とフォルクスは笑う。
「体質考えても、兄弟三人で、一番先にどうにかなるのは俺だろうしなぁ」
 なにしろ、精霊の加護とやらが無ければ、本来生きてるはずがないらしいぜ、と、ずいぶん気楽に笑う。
「ま、その兄貴んとこが終わったら、アイムのお待ちかね、俺の地獄の登山、ラディスハイドの国境ステンダー領だ」
 兄貴のところが地味に面倒なんだけどなぁ、と、フォルクスはぼやいた。

 現ヴォールファート侯爵グリフィスは、弟フォルクスの事を好きだとは決して言えない。彼が生まれたとき、母は彼に対して正気を失ったのを、よく覚えている。血管が浮き出そうなほどの肌を〝きれいな白い肌〟だと言った。血の色が浮き出た瞳を〝美しい緋色〟、そして、成長して伸び始めた、パサついた白い髪の事を〝美しい銀髪〟と。母の目には、そう映っているのだ。
 誰かが訂正しようとすると、半狂乱になった。そう追い込んだフォルクスの状態を、疎ましく思った。
 反面、弟を哀れだとも思っている。半狂乱になった母は、白子のフォルクスをしっかりと抱きしめて「違うのよ。あなたは、彼らが言う、不吉な白子なんかじゃない。白い肌、緋色の瞳、銀髪の、とても、とても美しい、私の自慢の子なの」。
 フォルクスが物心つく前だけなら良かった。だが、彼が人の言葉を理解するようになっても、母はそれを続けた。今でさえ、である。
 フォルクス自身は、己が白子であると認識している。母の言うことも理解して、なだめている。
 あの弟は、どう思っているのだろうか、と。
「グリフィス殿!」
 甲高い女の声が、グリフィスを呼ぶ。亡き義父の妻、すなわち、彼の姑にあたる。
「……なにか?」
 彼女に実権は何一つない。それでも、一応は前当主の妻なので、表面上だけでも一定の敬意は払わねばならない。
「また、あの白子が来るの?」
「そうでしょうね。バーム家としては、本家の子を道のりの危険を承知で使者に出すことを、誠意と考えています」
 その気になれば、その場で彼を捉えて人質にすらできる。あの末子が稼業の要の一人である母の感情を揺さぶるのは、界隈では比較的、有名な話だった。
「ああ、忌々しい。ステンダーで災厄を引き起こしたあの、火あぶりにされて当然の白子を知らないのかしら」
 軽く、グリフィスは舌打ちをした。そもそも、あの事件とて、順番が逆なのだ。災厄と呼ばれ、領土封鎖を余儀なくされるほどの疫病の最中に、白子が生まれたのである。あの子供と産んだ母親を処刑したこと、その少し後に疫病が沈静化したことは、期間を考えれば当然で、かの母子はただ強行に陥った民衆の鬱憤晴らしに犠牲になっただけである。
(……そもそも、白子が疫病を運ぶというのならば、アーデルリアス王都はとっくに壊滅しているだろうし、この領地もあいつが来るたびに不作にでもなってるだろうに)
 気がつかないのか、と、思っても、口には出さない。
「会う必要があるのは私であって、義母上ははうえではありません。彼が来る時はお知らせいたしますから、別荘にでも行かれるなり、触れないよう、お部屋にでもおいでになればいいでしょう」
 そう、グリフィスはあしらった。