ヴォールファート領-フォルクス-9

writton by 龍魔幻

 この地方によくあるように、ヴォールファート侯爵領も、半ば城砦に近い領主の館を中心に街が取り巻き、その街を含めて城壁が取り巻いている。その外側に農耕地が広がり、国境を示す堀がある、という構造である。別に農民を軽視しているわけではなく、有事の際には城壁外の領民は城壁内に避難することができる。この構造は経済的なものと、かつては小なりとはいえ王国があって、その保護があったことを示している。この辺りで名乗られている爵位は、そういった経緯で小王国時代に冠されたものを、特に変える必要も無いと判断し、惰性で使っている、というところが多い。

 フォルクスとアイムが宿をとったのは、そのヴォールファート領の城壁の内側にある宿である。フォルクスの兄グリフィスが婿に迎えられた当初こそ、財政基盤の問題で治安が不安定であったが、今ではすっかり落ち着いている。それこそ、外見が不吉と目されやすい白黒あわせての二人組が平気で出歩き、宿が取れる程度には。
 フォルクスが宿を押さえたとき、アイムは首をかしげた。きっちりと、二人分数日押さえていたからである。
「お前、一晩くらい兄さんとやらのとこに止まるんじゃ無いのか?」
「……やだ」
「いや、旧交とかないのかよ!」
 家出野郎に言われたくねぇ、とか口の中でぼやきつつ、フォルクスは応える。
「腐っても侯爵様の家だからな。兄貴と仲がいいわけでも無いし、なにより、晩餐をご一緒に、とか言われたら、礼儀作法とかめんどくさい」
 できないわけでは、ないのだが。
「……そんなもんか?」
「そんなもんだよ」
 ちょっと書類届けたら速攻で離脱してくる。お前さんは街見物とかしててもいいぞー、と、フォルクスは侯爵家に出かけていった。
 フォルクスとて、そこまで鈍感ではないのだ。兄とその妻はともかく、先代領主夫人が彼を快く思っていないことは判っている。と、いうか、彼女がそれを隠そうとすらしていないのだから、うっかりそんな人物と食卓を囲む可能性は遠慮したい。

 兄の姑にあたるエルザ・ヴォールファートは、もとはラディスハイド王国の子爵家から嫁いできたのだという。かの王国のすべての人が迷信じみた外見だけでどうこうという性質だというわけではないが、彼女の場合、ステンダー領に身内がいた。そして、四年前の疫病でその人物を失っている。
 ステンダー領全体では、その疫病の最中に生まれ、半ば鬱憤晴らしのように〝呪いの子〟として生け贄に捧げられてしまった白子を原因だと思っている者は、落ち着いてからは、多くはない。むしろ、不安の最中にそうしたことを起こしたことに負い目を感じている方が多い、と聞く。
 けれども、あの人はそうではなかった。あるいは、なまじ現場の凄惨さを知らなかったからこそ、そして、身内の死の怒りをどこにぶつけたらいいのかが迷走した挙げ句に〝白子〟という存在を敵視することで、どうにか保っているのかもしれない。
 フォルクスは、あまり気にしていない。色眼鏡で見られることには慣れきっているし、元々、きっちりとした貴族の席、というのが苦手なのも事実だから、さほど仲がいいわけでもない兄と最低限のやりとりをして、さっさと辞去する口実にちょうどいい、とすら思っている。
 フォルクスの誤算と言えば、かの姑殿の恨みと偏見の熱量を、読み違えていたこと、に、なるのだろうか。

 フォルクスも、そしてグリフィスすらも知らない。兄が、嫌なのなら接しなければいい、と行ったエルザ夫人が、自室に魔術師を招いていた事を。また、彼女の認識が、ほんの少しの嫌がらせ、という程度のつもりであったことも。
「……人に対する精霊の加護、とやらを、ほんの少しばかり遠ざけてほしいのよ」
 魔法使いの前に、金貨が詰まった袋が置かれた。
「別に、どうしようと言うわけではないの。少しばかり、加護とやらを引き剥がして、厭われてること思い知らせてやることができれば」
 彼女も、その依頼された魔術師も知らない。フォルクスの〝精霊の加護〟の性質を。
「……わずかばかり、うろたえさせればよろしいのですね」
「ええ、そうよ。ああ、グリフィス殿との話の後、街へ出た頃がいいわね」
 さすがに、邸内では騒ぎになる。その程度のことは、彼女にも判る。
 後に、それがいかなる結果をもたらすか、ということを、想像しろ、という方が無茶な話であった。

 宿の側にも、来客があった。
 フォルクスが兄の邸宅に出向いたあとの事である。
「エーリック・スタン、ねぇ。さっきも訊かれたね。七日くらい前に泊まって、また、どこかに仕事探しにいったんだろ」
 あれで、結構な戦力になる傭兵だからねぇ、と、店主は言った。
 訊ねたのは、いかにも、その傭兵の同業者、といった風体の男である。耳の形状からして、犬だかオオカミだかに繋がる獣人の男だった。
「この辺は平和だがね、ちょっと東の方がきな臭い、って話をしたから、そっちの方に仕事探しに行ったんじゃないかね」
 宿は、情報の集積場も兼ねていることが多い。
「ありがとよ」
 と、獣人の男は情報料を手渡しながら言って、いくつかの食事も注文した。
 彼の連れが先に座っていた、少し離れた席には、フード付きの外套を着込んだままの人物がいた。こういう場所で、それは特に珍しくはない。あまり顔を出したくない客、というのは、そこそこにいるのだ。
「さて、どうする、ぼっちゃん」
 潜めた声で、傭兵は言った。
「……そうですね……」
 応えた声は、かなり若い、きれいな発音の青年のもの。所作も含めて、おそらくは、貴族階級だろう、と察せられる。
「確実なのは、兵糧攻めなんですが」
「……と、いうと?」
「あの界隈に、肖像付きでそこそこの金額の賞金をつけて指名手配を出して、さらに素性も流したら、従兄上あにうえは本家への献上品として追い回されることはあっても、仕事はできなくなるでしょう?」
「まぁ、ステンダーの世継ぎとばらまかれたら、いくら腕は立っても傭兵で使おうなんて剛毅なやつぁ、そうそういねぇだろうから、いずれ食いあぐねて帰ってくるとは思うが……さすがに、ちと酷じゃねぇか?」
「ええ、ですから、最終手段です。こちらとしても、そこまでやると、傭兵界隈の情報が滞るかもしれませんし」
「……じゃぁ、どうするよ」
「…………とりあえず、脅迫文でも送りましょうか」
 かぶり物の下で、青年は無邪気そうに、にっこりと笑った。
  ―――― 盟友たる炎よ、我、オシルス・クランの意思を伝えた賜え ――――
 小さな声での詠唱で、ふわりと炎の蝶をかたどったものが浮かぶ。
  ―――― エーリック・ステンダーの元へ ――――
 炎の蝶は、ふわりと旅立った。
 目的の人物のもとへ伝令を運ぶ、ファイア・パピニオという魔法である。ウェノの発展とともに使う者が激減したが、術士が確実に己の魔法の感覚で追えるので、好んで使う者も居る。
「これで帰ってこなかったら、指名手配、ですね。まぁ、帰ってきても、お忙しい領王様や従姉上あねうえにかわって、父上にこってりと絞られるでしょうが」
 にっこりと笑う。

 幼き日に殺し屋時代のアイムに出会った、ベルナート・クランの嫡子、オシルス・クランは、成長し、今や、しっかりと腹黒さを抱えた、生粋の、ベルナートの世継ぎたる貴族に成長していた。